「地方巡察」22、23章へのご感想(つづき)

「地方巡察」22、23章(終)へのご感想をいただきました。

前回いただいたご感想の続きです。ありがとうございます。

作者、考える宿題がまだできていません(汗) お返事を書きながら考えました。

 このご感想は、前回のお返事ブログ記事の最後で返信されていただいていたものの、続きです。後日また送ると言ってくださっていたものが、予告通り後日届いたのでした。ありがとうございます!

 

また感想を書きに来ました。感想返信記事も読ませていただきました。返信を読んで、なぜ自分が、町長の死をサフナールの仕業だとは思わなかったか考えたのですが、王宮が町長を処罰するならおおっぴらにやらないと意味がないと思っていたからだと思いました。ただ個人的に許せないだけなら病死と見せかけた暗殺でもいいけれど、王宮からの使者を害そうとしたことや族長に虚偽の讒言をしたことを処罰するなら、正式の手続きを踏んで相応の処分を下し、虚偽はバレるし反逆行為は罰されるのだということを広く知らしめるべきだろうと。潜伏期間のことは忘れていて、考えていませんでした……(^^ゞ
さて、詩人のエピソードについてですが、感想返信で『蛇足かなと思った時期も』と書いていらっしゃいましたが、私は、これがあることで作品の後味が格段に良くなっているし、作品に奥行き・深みが出ていると感じました。パシュムの事件自体は、お嬢さんは死んじゃったし、アイシャも、子が出来なければ妻を離縁するような爺に嫁いで愛が生まれるとは思えないし、子どもが一人で二人目を授かる可能性はほぼ無いなら不測の事態もありうるので決して将来安泰とは限らないだろうし、ジェレフも彼らともう会えないし、町長の死も必ずしもスカッと爽快ではないしと、決して完全無欠のハッピーエンドではないわけですが、それでも、最後の詩作のエピソードがあることで、そうした諸々やモヤモヤも含めたこの事件が、一つの完成された絵画として美しい額縁に収められた感じがするのです。その絵の中には、必ずしも善いもの、美しいもの、望ましいものだけが描かれているのではなく、邪悪や死や、俗世の腹立たしいこと、ままならないことも描かれているのだけれど、それは、そういったものと果敢に戦った英雄の物語の一部として描かれているのであり、絵としては美しく完成しているのだと感じられるようになったのです。だから、すべてが完全にハッピーエンドじゃなくても、結末にモヤっと感が残らなくなったのだと思います。『僕は、そういう人は、幸せになるべきだったと思います。(中略)だから僕は、そういう物語にしようと思ったんです』という詩人さんの言葉に、感銘を受けました。これは『物語というものについての物語』でもあったんだなあと思いました。その二重構造が、作品に奥行きをもたらしたと思います。最終章は、もう、涙、涙で読みました。とても感動したので、合言葉を叫んでおきます。フラ・タンジール! 長文失礼しました。

 

サフナールは果たして、パシュムに刺客を送ったのかどうか?

そのあたり、作中にはもう出てこない部分なので、読者様のご想像にお任せする部分ではあるのですが、私個人としては、彼女が送った刺客は、いたとすれば、女性で、町長の屋敷の使用人として潜伏することになっただろうと空想しています。

22章の晩餐の席の会話では、族長リューズはエル・ジェレフの要望を汲んで、町長アンジュールの英雄殺害未遂の罪は見逃すことにしました。大逆罪に問うて処刑するとなれば、事は大事になりますし、場合によってはアンジュールのみならず、親族にも害が及ぶこともありえます。そんなの野蛮だろと思いますが、黒エルフ族の法は野蛮でして、反逆などの重い罪の場合、処刑は何親等までの連座制がとられる場合もありますし、独裁者であるリューズがめちゃめちゃキレれば、法などそっちのけで首を切られちゃうような悲惨な時代背景なのです。

この場合、リューズはアンジュールに大して怒っていないようでした。ジェレフも一見、無事に戻りましたし、そのジェレフが不問にしてくれというのだから、それでいいか、蒸し返したくない、というのがリューズの本音だと思います。

サフナールも「地方官に任せろ」と咎めていましたが、族長が直々に処罰に乗り出すような規模の事件ではなかったし、英雄たちが巡察に来て、何か面倒が起きたら、族長が直々に反逆罪で処分してくる、という見方を民衆にされると、困るというのも、本音としてあると思います。

族長リューズは、敗色濃厚だった部族領を、連戦連勝の戦上手で滅亡から救った名君、というふうに自己を演出してきた支配者ですが、民にすれば、その当人が「いいところで戦をやめてしまった」というのが、「地方巡察」の時代背景としてあります。リューズは民衆に、「なぜもっと戦わないんだ!?」と不審に思われているし、実はすごく、父上お仕事がたいへんな時なんだろうな、って思います。そのストレスで心臓発作が起きちゃってるぐらいですし。

英雄たちの地方巡察も、ぶっちゃけ民のご機嫌取りという面もあるかと思います。そういう巡察の旅で、地方のえらい人と喧嘩して、刃傷沙汰まで起こして戻ったエル・ジェレフには、サフナールあたりは「空気読めよ」と怒っているのだと思いますが、リューズは内心、苦笑のあまり爆笑、という気分でしょうか。ジェレフらしいやという感じで。

そんな状況の中で、とりあえず事が収まったのであれば、大逆罪など持ち出して事を荒立てる気はないのが、玉座の人の本音で、サフナールも玉座の右に座す人として、それは深く納得しているものの、彼女の女としての本音の部分が「パシュムのじじいムカつく、このまま無罪放免など許しがたい」と囁いている……ことをリューズも知っているので、「このままだとアンジュールは無罪放免ということになるなあ、サフナール。まあ、田舎の娘っ子がひとり死んだ程度のことだからなあ、しょーがないよなあ!」と突っついてみて、サフナールがムカッときたのを、「いいぞもっとやれ」と豆食いながら見ていたという流れなのかなあ、と。

リューズや、サフナールは、たぶん、パシュムでジェレフが経験した出来事を、物語として見ています。だから、物語の登場人物の行く末や、悪役のその後に一喜一憂するような思いで、自分の感想を述べているのだろうと思います。サフナールは「このオチには納得いかない」と族長に駄々をこね、「では、そなたの才覚で、好きなオチに持ってゆくがよい」と、アンジュールを私的に罰する許しを得た、というのが、22章の流れです。

さらに深読みすれば、サフナールはジェレフには常々ムカついているものの、やはり英雄仲間ですし、そのジェレフがパシュムの町長に踏んだり蹴ったりされても、黙って(斬ったけど)帰ってきたことが、歯がゆかったり、ジェレフが可哀想という気持ちもちょっとあって、「ウチの者に何してくれてんのや」と、アンジュールに仕返しをしたかったのかもしれません。

しかし自分で走っていって殴るわけにもいかないので、(サフナールも治癒術しか使えません) 誰か自分の命令で動かせる者を、代わりにパシュムに遣るということになるかと思います。

ジェレフは馬鹿正直なので、英雄は人を雇えない、と信じてましたが、実際はそうでもないと作者は思います。おおっぴらに人を雇って会社や商店を経営したりはできないでしょうけど、自分の用を足してくれる手下ぐらいは用意できるはずです。ジェレフが馬鹿なのです。

サフナールがパシュムに遣わしたのは、竜の涙ではない、一般人に紛れることができる、宮廷にいる女性だと思います。族長が詩人くんをパシュムに遣わしたみたいにですね。

その人物が、うまく町長の屋敷に潜入できていたら、たぶん、その身近にいて、アンジュールが徐々に死ぬのを、逐一王都に報告したことだろうと思います。

そこで、これから暗殺しようとしていた小悪党が、ほうっておいても死ぬ病気に罹ったという報告を受け取って、サフナールはどう思ったんでしょうか。「あら、まあ……」でしょうか。事実は小説よりも奇なり、ってところでしょうか。(小説だからこうなるんですけどね)

ブログにお返事を書いてから、私も、宿題だと思って、いろいろ考えてみましたが、町長の病気はやはり、パシュムの港で負傷した際に、風土病に感染したのだと設定したほうが、物語として納得しやすい仕上がりになると思いました。読者さんは、そのほうが、「さもありなん」と感じてくれるだろうと。

結局、ジェレフは自分の手で、シェラルネお嬢さんの仇を討ったということになります。それとも、シェラルネお嬢さん自身が怨霊となって、自分の仇を討ったんでしょうか?

Twitterでぶつぶつ言ってましたが、拙作「カルテット」の世界には、設定上、幽霊がいないことになっています。だから、シェラルネお嬢さんは死んだらそれっきりで、化けて出たり、祟ったりはできません。したがって、怨霊はおらず、単に潜伏期間が10ヶ月あったというだけの事とするしかないのですが、まあ、読み方として、この場合、いろいろな解釈もできますね。

読む方が、いちばんしっくりくる解釈をして、スッキリしてくだされば、それがいいかなと思います。怨霊の線でもいいのです。

 

某氏さんは書き手さんですから、私も作法上の話をすると、「ほうっておいても町長は23章で死ぬオチなのに、なぜサフナールが暗殺するかのようなエピソードを22章で挟んだか」という問題もあるかと。

理由は、いくつかあるんですが、

  1. 22章でパシュムの事件の振り返りと、明確な結論を出さないと、話がしまらない
  2. 小悪党もいちいち処罰するリューズの名君っぽさの演出もしたい
  3. サフナールのキャラクター性の明示もしたい(私欲のために権力を利用する根はいい人)

とかいったところです。でもそれによって、上で延々考えたような、「結局アンジュールは誰に殺されたのか?」という別の問題が発生してきます。

それを回避するべく、「アンジュールはサフナールが放った刺客によって殺害された」というオチにする方法もあるのですが、それだと、ジェレフが物語の中心から放り出されちゃうというか、まるで蚊帳の外、みたいになりますので、やはりここは主人公として、ジェレフが問題の解決に当たるほうが、ストーリーに一本筋が通ります。

だけど、「むかつくわ町長死ね!!」みたいキレて、ジェレフが町長を成敗して終劇、というのでは、何かスッキリしません。たぶん。ジェレフのキャラクター性とマッチしない展開なんだと思います。彼は、自分の命を削ってでも、他人の命を救うというキャラクターなので、人殺しをすることで、人物としての一貫性を失って、説得力がなくなってしまうんだと思うので、ジェレフはあくまで、奇跡の治癒術で人を救うしかありません。それで、考えたのが、ああいう展開だったんだろうと、自分では思います。

その案で、作者はジェレフのキャラクター性を保ったまま、復讐も成し遂げました。めでたし、めでたし……と、なりましたかどうか。

共感できる物語を作るのって、時として、複雑で難しい作業ですね。

 

 長! お返事、長ッ(汗)!!

でもまだ半分です。これから詩人くんの話です。小説なら、「次回に続く」って章立てを分けたいような感じになってきましたが、このまま続けます(^_^;)すみません……

 

いただいたご感想を読みながら、

パシュムの事件自体は、お嬢さんは死んじゃったし、アイシャも、子が出来なければ妻を離縁するような爺に嫁いで愛が生まれるとは思えないし、子どもが一人で二人目を授かる可能性はほぼ無いなら不測の事態もありうるので決して将来安泰とは限らないだろうし、ジェレフも彼らともう会えないし、町長の死も必ずしもスカッと爽快ではないしと、決して完全無欠のハッピーエンドではないわけですが、

 というところで、わたくし、「やばいぐらいモヤっとしている!!」と転げ回りそうになりましたよ。やばい全然、爽快感がないじゃないですか、めちゃくちゃモヤっと!

「地方巡察」って元々、モヤっとする話(作り話のようにはすっきり割り切れない話)を書こうというコンセプトで創作したようだったのです。考えたのが、育児ブランクに入る前だったので、記憶がもう定かじゃないのですが、たぶん、「現実っていうのは、モヤモヤするものなんだ。お話のようにはスッキリいかないんだ。モヤっとするほうがな、リアリティがあるんや!」という、私の中二病の発作みたいなもんだったと思いますorz

はるか昔から私は、勧善懲悪みたいな、作り話だからこその痛快さが売りの作品と、その反動で、モヤモヤする割り切れない系の作品を、交互に書くようなところがありまして、「地方巡察」も何かの反動がきっかけだったのだろうと思います。「新星の武器庫」かな? 記憶が朦朧としていますが……。多分何かあったんだと思います。

モヤっとする話を書こうと思って書いた作品が、無事にモヤっとするんだから、成功やないか、よかったな椎堂さん……と思うんですが、私も書きながらめちゃくちゃモヤっとしまして、「こんなモヤっとは嫌だ!」ってなったんです。

確かに、現実って上手くいかないし、悲惨な事が多いんですが、私はそれをそのままリアルに書くようなタイプの書き手じゃないんだと思います。夢みたいな、おとぎ話みたいなのを書くほうが、性に合ってるのですよね。

 

それを自覚して、ブランク明けの執筆を再開したときに、オチを練り直して、23の詩人のエピソードを足しました。元々は、豆食ってるシーンで終わりだったんです。

前バージョンのボツシーンでは、サフナールも登場してなくて、彼女はおとなしく退席し、リューズはジェレフと二人で話しています。

書いてもいないので、ボツ原稿があるわけじゃないんですが、ジェレフがパシュムで出会った二人の少女、アイシャとシェラルネについて族長に、「わが部族では、奴隷はいないことになっていますが、彼女たちは家の奴隷ではないのですか」と尋ねるシーンがあり、それが話のオチでした。その話の流れで、ジェレフは、自分も王朝の奴隷ではないのか、と族長に尋ねます。ジェレフもう会社辞めますみたいな話でした。

その話をリューズは豆を食いながら笑って聞き、「俺も玉座の奴隷だが、会社やめようかな」みたいな話で応じます。そしてジェレフを励ましたあと、お前は奴隷でも金持ってんのやから、旅先で見た民の窮状を憂えるのであれば、自分の立場から何かできることがあるんやないのか?(関西弁が直りません)と諭しまして、ジェレフはパシュムに女性たちのための病院を建てるというのが、初期プロットでした。

22章で終劇だったわけです。

 

でも何となく、納得いかなくて、23を足したんです。

シェラルネも、ただ死んで、可哀想だったね、で終わりというのも、しっくり来なかったし、この部族の辺境で(もしくは全域で)苦労している女たちを救済する仕事を、ジェレフがするというのも、なんだかしっくり来ませんでした。

それで、サフナールにご登場願ったんですが、なにせ後から付け足したシーンではあるので、取ってつけたようじゃないかなと、うまく繋ぐ技量が自分にあるのか、ちょっと悩んだんです。

詩人くんが出てきてジェレフと話すのも、改変時に、「深淵」と対になる話にしようと思い立って、ラストシーンを詩人にやらせることにしました。時代順では、「地方巡察」のほうが先にくる話で、「深淵」はその後の、ジェレフが死ぬ直前の物語です。「地方巡察」では、場面から退場するのは、詩人のほうで、ジェレフはそれを見送っています。対して、「深淵」では、同じ部屋から、ジェレフが退場して、詩人がそれを見送っています。だから何? っていうと、そうなんですが(汗)、なんだかその対比が好きだったので、そういうふうに書こうと思いました。

「詩人が英雄譚(ダージ)の創作について語る」というシーンは、ありのままの自分ではなく、創られた人生を生きているジェレフにとっては、自分はどのように生きるべきかという話でもあったかと思います。人々が、エル・ジェレフはかくあるべし、と期待するような人生を、自分は生きようというのが、結末でのジェレフの決心であったわけで、それがこのキャラクターの個性です。

従来、「紫煙蝶」で書いていた初期のころのジェレフは、英雄とは古来より、そういうものだから、自分も先輩達に倣い、英雄らしく生きて、英雄らしく死ぬんだというキャラクターでした。それはそれで見上げたものですが、その英雄ジェレフの一生に「地方巡察」を挟むと、彼は単に英雄らしく生きたかっただけでなく、その物語を聴いてもらいたい人々がいたんだ、ということになります。私は、そういうジェレフのほうが、共感しやすいので、こういう形で「地方巡察」を脱稿できて、よかったなと思っています。

 

原稿を書く時、私はけっこう自動的に、深く考えずに書いてるほうなんですが、23章の詩人くんのところを書いていて、

この世で、天使たちの他に、詩人だけが使える魔法が、そこにある。

 という行がありまして、ああ、そうだなあと思いました。私もその魔法を使うものの端くれですので、できれば、読む人が幸せになれる魔法をめざして、頑張っていきたいです。ブランク明けの、これから執筆活動を再開しようかという船出の時に書くには、このオチで終わる「地方巡察」は、なかなかおあつらえ向きの物語でした。

 

長い物語、そしてこの長ーーーーーーい返信にもお付き合いくださり、ありがとうございました。書き手にあるまじき、執筆の内情や迷いもガンガン書いてしまいましたが、もう……どうが笑って許してやってください(^_^;)